佐々木味津三
底本:「右門捕物帖(二)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:kazuishi
佐々木味津三
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しかるに、行きついてみると、それなる吉原幇間(ほうかん)がすこぶる奇怪でした。ずいとものをもいわずに上がっていった右門の姿と、そのこわきにかかえられている怪しの髪の毛を認めるや、ぎょッとあとずさりして、みるみるうちにくちびるまで色を変えていましたが、やにわにそこにあったあんどんをけたおしたまま、必死に表のほうへ逃げ走っていったものでしたから、鋭い命令の下ったのは当然!
「辰ッ、投げなわで押えろッ」
しかし、妙です。
「おやッ。辰めがどこかへ消えてなくなっちまいましたぜ!」
「なにッ、いない? ねこはいるかッ」
「そいつもいっしょに駆け落ちしちまったらしいですよ」
蛸平に、辰に、怪猫と、一瞬に三個の姿が、忽焉(こつえん)としていずれかへ消滅してしまったものでしたから、いかな捕物名人も、これにはいたくめんくらったようでしたが、と、――そのときまさしく裏の、へい一つ越えた四ツ菱屋の二階とおぼしき方角に当たって、ニャゴウとひときわ鋭く鳴きたてた怪猫の声がありましたので、いよいよいぶかしみながら、はせつけてみると、そもいったいどうしたというのでありましたろう! 第一に目を射たものは、そこの銀燭(ぎんしょく)きらめく大広間の左右に、ずらりと居並んでいる、無慮五十人ほどにも及ぶ花魁群の一隊でした。それすらもがおよそ不審な光景と思われるのに、よりいっそういぶかしく思われたのは、それなる花魁群に囲まれながら、狂気しているのかと見ればそのようにも見え、正気かと思えばそのようにも思えるひとりの六十あまりなる老人が、髪の毛をそっくりむしりとられた京人形をひしと抱き占めて、なにかわからぬうわごとをつぶやきながら、しきりにそれなる人形をあやなしているのでした。しかも、その前に、ざくざくと積まれた千両近い黄金の山!
だのに、豆やかな善光寺辰めがさらに奇怪で、一方の端には怪猫をからめ取り、他方の端には逃げ去ったはずの蛸平を、両々振り分けの投げなわにからめとって、いっこう恐るるけしきもなくにやにやとやっていたものでしたから、伝六のことごとく目を丸くしたのはいうまでもないことでしたが、名人もいささか意外にうたれたとみえて、まず辰に尋ねました。
「これはいったい、どうした子細じゃ」
「どうもこうもない、あの人形とぶつぶつさえずっている薄気味のわるいおやじが、さっき八丁堀で取り逃がした当の本人でござんすよ」
「えッ※(疑問符感嘆符、1-8-77) ――そうか、髪の毛と黒ねこがあの京人形に結びつくたあ、いかなおれも、にらみがつかなかったな。よしよし、ここまでもう押えりゃ、どうやらちと右門流を大出しにしなきゃならねえようだから、ひとつ江戸のごひいき筋をあッといわせてやろうよ。それにしても、ねこと蛸平をいっぺんにここで押えるたあ、少しばかりおてがらすぎるな」
「いいえ、てがらでもなんでもねえんですよ。ねこを見張ってだんなのあとからついてめえりましたらね、やにわとこいつめがニャゴニャゴいって、どうしたことかここの二階へ駆け上がってきたんで、逃がしちゃならねえと追っかけてきて押えたところへ、あの蛸平坊主めがあとから裏のへいを乗りこえやがって、逃げこみましたんで、ついでにちょいとからめとってやったんですよ」
事がここにいたって、がぜん予想外の大場面に展開したものでしたから、では、そろそろ右門流に取りかかろうといわぬばかりで、いと涼しげに微笑すると、まず吉原幇間(ほうかん)のところへ、物静かな尋問が飛んでいきました。
「神妙に申し立てろよ。なにゆえ逃げおった」
「へえい……」
「へえいではわからぬ。わしがなんという名のものであるか、もうわかったであろうな」
「へえい。ようようただいまわかりましてござります。初めからむっつり右門のだんなさまと知りましたら、逃げるんではございませんでしたが、こんなことになったのも、あの気味のわるいお大尽に見込まれたのがそもそもの不運でござりましょうから、身の災難とあきらめまして、もうじたばたはいたしませぬ」
「では、これなる怪しの髪の毛を携えて、人形師藤阿弥(ふじあみ)のところへ注文に参ったはそちでないと申すか」
「いいえ、使いに立ったのはいかにもこの蛸平めにござりまするが、頼み手はあそこの気味のわるいお大尽でござりまするよ」
「なに、あの老人とな。うち見たところ常人でなさそうじゃが、気でも狂いおるか」
「それが、さっぱりてまえにも、正気やら狂気やら見境がつかないんでござりまするよ。忘れもいたしませぬが、三日まえの朝早くでござりました。だれでもよいから幇間(たいこもち)をひとり呼べというご注文だとか申しましてな、こちらの四(よ)ツ菱屋(びしや)さまからてまえのところにお座敷をかけてくださいましたんで、なんの気もなく伺いましたら、今、だんながお持ちの丁子油がしみた髪の毛と戒名を書いた丈長(たけなが)に五十両を渡しまして、至急にこの毛を植えた十七、八の娘人形をととのえろ、とのおことばでござりましたんで、さっそく藤阿弥のところでお言いつけどおりの品を求めてまいりましたら、それまではたしかにご正気でござりましたが、どうしたことやら、人形をご覧になると、急に気が変になりましてな、ちょうど今晩でまる三日、あんなふうに小判の山を目の前にお積みなさいましておいて、日に二百人ずつこのくるわの花魁(おいらん)衆をかたっぱしお揚げなさっては、なにかぶつぶつ人形としゃべりながら、ひとりに二両ずつご祝儀をきっているんでございますよ。――ほらほら、いううちに、また始めたんじゃござんせんか、よくご覧なさいましよ」
いわれましたので、目を転ずると、いかさまじつに奇態でした。毛をはぎとられた丸坊主の京人形をしっかりとその胸に抱きすくめるようにしながら、ふらふらと狂えるもののごとくに立ち上がったかと思われましたが、と――不意に奇妙なことばを人形に向かって、さながら生あるもののように話しかけました。