佐々木味津三
底本:「右門捕物帖(二)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:kazuishi
佐々木味津三
2
出るといっしょのように、ポツリ、ポツリと、えり首を見舞ったものは、このごろの青葉どきにはつきものである降りみ降らずみのさみだれです。さみだれの降るところ、決まってまたついてまわるものは、俗に幽霊風ととなえるあのぬんめりとした雨風で、しかも時刻は森羅(しんら)万象ものみなすべてが、死んだような夜中の九ツ下がり――。
そのぶきみこのうえない幽霊風吹きなでる深夜の町中を、思ってみただけでも身の毛のよだつまっくろな怪猫(かいびょう)が、怪しの髪の毛の油香を追い慕って、ニャゴニャゴと陰にこもった鳴き声をふりしぼりつつ、曲がるほうへ行くほうへつき従ってまいりましたものでしたから、むろんのことに伝六は生きたここちもないもののようでしたが、右門はかまわずにさっさと道を神田へ出ると、一路行き向かったところは、河内山(こうちやま)宗俊(そうしゅん)でおなじみのあの練塀小路(ねりべいこうじ)でした。
しかし、当時の練塀小路は河内山宗俊が啖呵(たんか)をきったほどの有名な小路ではなく、御家人(ごけにん)屋敷が道向かいには長屋門をつらねて、直参顔(じきさんがお)の横柄(おうへい)な構えをしているかと思うと、そのこちら側には願人坊主の講元があるといったような、士、工、商、雑居の吹き寄せ町で、そのごちゃごちゃと蜘蛛手(くもで)に張られた横路地を、あちらへこちらへしきりに何か捜しまわっていたようでしたが、ようやくそこの鍵辻(かぎつじ)を袋地へ行き当たったどんづまりで、『都ぶり人形師――藤阿弥(ふじあみ)』と、看板の出た一軒を発見すると、どんどん表戸をたたきながら呼びたてました。
「起きろ起きろッ、戸をあけろッ」
徒弟らしい若者が、なにげなく繰りあけたその足もとで、いまだになおつけ慕っていた怪猫(かいびょう)が、不意にニャゴウと鳴きたてましたものでしたから、若者のぎょッとなったのはいうまでもないことでしたが、しかしさすがは生き馬の目を抜くお江戸のまんなかで育った職人でした。
「八丁堀のおだんながたでござりまするか」
早くも右門主従をそれと知ったらしく腰を低めましたので、名人もまたおごそかにきき尋ねました。
「藤阿弥は在宿か」
「へえい。急ぎの注文がござりますので、まだ起きてでござります」
「少しく調べたいことがあるによって、取り次ぎいたせ」
「いえ、参ります。ただいまそちらへ参りまするでござります」
きき知ったか、奥の仕事べやから、両手をどろまみれのままで、当の藤阿弥がいかにも名ある人形造りらしい風貌(ふうぼう)をたたえながら、取り次がぬ先に姿をみせましたものでしたから、こわきにしていた髪の毛をつきつけると、鋭く問いただしました。
「この髷(まげ)の都ぶりに結いあげているところから察して、たぶんそのほうが手がけた品じゃろうと、かく夜中わざわざ詮議(せんぎ)に参ったが、覚えはないか」
受け取って、丁子油のにおいをかいでいたようでしたが、名人の慧眼(けいがん)やまさに的中――。
「お察しどおりでござります。たしかに、てまえが注文をうけまして、さる人形に植えつけた品にござります」
第一の手がかりがついたものでしたから、いかでそのことばのさえないでいらるべき!
「油もそちがつけたか」
「いいえ、それがどうも妙なんでござりまするよ。この丁子油のしみた毛束に、そこへ使ってある戒名の書いた丈長(たけなが)を向こうからお持参なさいまして、至急に十七、八歳ごろの人形をこしらえろとのご注文でござりましたので、少し気味がわるうござりましたが、手もとにちょうどその年ごろなのがござりましたゆえ、そのままお言いつけどおりにいたしましてござります」
「いつじゃ」
「つい三日まえでござりました」
「注文先も存じおろうな」
「へえい。吉原(よしわら)の蛸平(たこへい)様とおっしゃる幇間(たいこもち)のかたでござりました」
――いよいよいでて、いよいよいぶかし! 注文主は名まえも奇態な吉原幇間(ほうかん)の蛸平とありましたから、時を移さず右門の行き向かったところは、九番てがらの達磨(だるま)霊験記で詳しく地勢を述べておきました見返り柳の、あの柳町なる旧吉原です。怪猫のあとをつけていったのもむろんのことでしたが、しかし、伝六というしろものは、およそ罪のないあいきょう者でした。外はもうやがて丑満(うしみつ)にも近い刻限だというのに、一歩大門を廓(なか)へはいると、さすがは東国第一の妖化(ようか)咲き競う色町だけがものはあって、艶語(えんご)、弦歌、ゆらめくあかり、脂粉の香に織り交ざりながら、さながらにまだ宵(よい)どきのごときさざめきをみせていたものでしたから、今まで息の根も止まっていたのではないかと思われるほどに静まり返っていたのが、たちまち噴水のごとくに吹きあげました。
「ちぇッ。これだから伝六様というしょうべえはやめられねえや。ねこめがピカピカ目を光らしゃがるんで、人ごこちゃなかったが、もうここへくりゃどんな音でも出らあな。おい、辰ッ。おめえはほぞの緒切ってはじめてなんだろうから、後学のため、本場の花魁(おいらん)の顔をよく拝んでおきなよ。だが、ぽかんとしているてえと、チョボにさいふをすられるぜ」
かりにもご公儀お町方の禄(ろく)をちょうだいしている者に、さいふをすられるぞもないものですが、いわれた川越(かわごえ)育ちの豆やかなお公卿(くげ)さまが、存外にまたすみにおけないので、いとものどかに気どりながら、首筋をすくめるとささやいていいました。
「いまさら愚痴をいうんじゃねえが、こうべっぴんばかりいるところへ来てみるてえと、せめてもう五寸背がほしいね」
「泣くなよ、泣くなよ。ちっちぇえ花魁(おいらん)だってあらあな。しかし、それにつけても、だんなにばかりゃ、うっかり気を許すなよ。堅仁だかと思うと、気味がわるいほど恐ろしく通人で、通人だかと思うと変にまたこちこちなんだからな。いい気になるてえと、またぽかりしょい投げを食わされるぜ」
たわいのない配下たちの、たわいないささやきを聞き流しながら、名人はしきりと行きかう人を物色していましたが、おりよく通りかかった金棒ひきを見つけると、しらばくれて尋ねました。
「幇間の蛸平というは、どこにいるか存ぜぬか」
「ついそこですよ。ほら、あそこに四ツ菱屋(びしや)っていう揚げ屋がござんすね。あのちょうどまうしろになっていますから、行ってごらんなせえましよ」
蛇(じゃ)が出るか、へびが出るか、しだいに怪しのなぞがせばめられてまいりましたものでしたから、疑問の髪の毛をしっかりこわきにかかえて、いまだに狂えるもののごとく、必死にニャゴニャゴと鳴き慕っている怪猫を従えながら、ただちに教えられた蛸平の住み家に向かいました。