佐々木味津三
底本:「右門捕物帖(二)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:kazuishi
佐々木味津三
最初に丘の向こうから忍びやかな足音がありました。
影は紛れなく男!
つづいて、青梅院内から、これも同じような忍び忍んでのかすかな足音がありました。
影は紛れなく尼僧姿!
そして、尼僧のはばかるような声が先にきかれました。
「な、もし……弥吉さまか」
「そうでござります、お妙(たえ)さまか」
「あい……会いとうござんした。きょうも一日が、ほんとうに長うござんした」
「わたしも! わたしも!」
かきねの外と、かきねの中とから、ひしと相いだくようにすがり合ったのを認めて、すいと名人が身を起こすと、一語強くふたりの影にいいました。
「八丁堀からはるばるお迎いに参った右門でござります。お妙さまのためにはお父御(ててご)が島田かつらをご用意なさいまして、婚礼のしたくができていましょうから、さ! いっしょにお越しなされませ」
忍び会うていたふたりのおどろきはむろんでしたが、それを押えた名人がいいました。
「いえ、もうご心配はござりませぬ。それよりか、あのとおり、ふたりのてまえの手下どもが首をひねってござりますから、おふたりがどうしてこんなところへ来ていらっしゃるか、手みじかに話してやってくださいましな。てまえにはおおかた眼がついておりますが、手下のやつらは鼻をつままれたような様子をしておりますからな。お妙さまからお先に話してやってくださいましよ」
「…………」
「お迷いなさらなくともよろしゅうござりまするよ。あなたさまが深川で入水(じゅすい)女の替え玉を使ったことも、次郎松に金襴(きんらん)仕立ての守りきんちゃくを贈ったことも、てまえにはちゃんともうわかっているんでござりまするからな、手間を取らせずに、早く聞かせてやってくださいましよ」
「ま! それまでおにらみがついてでござりましたら、申します、申します。いかにも深川先で、おことばどおり、わたくしの身がわり仏を使いましたはまことでござりまするが、でも、わたくしがあやめたのではござりませぬ。弥吉さまに添われぬくらいならば、いっそもう死んだがましと存じましたゆえ、髪の毛をきって、形見にととさまのところへ届けたうえ海へ入水して死のうと思いまして、浜べまでまいりましたら、ちょうどわたしと同じくらいな年ごろのおなご衆が、むごたらしい死体となってあげられましたなれど、お身もとがわからぬために、お引き取り人がないと聞きましたゆえ、こわさもこわくなりましたが、無縁仏のおなご衆も、このまま捨てておいたら行くところへも行かれますまいと存じましたゆえ、ふとふびんがわきまして、わたしの身代わりにして野べの送りさせてしんぜようと、死体をいただき、髪の毛をお切り申しあげ、着物もわたくしのとお着替え申しあげて、身代わりにしたのでござりまするが、偽りながらも死んだ身となったわたくし、もうふたたび世には出られまいと存じましたゆえ、この尼寺へ身を託したのでござります」
「そうでござんしたか。名まえは違って仏に祭られましたが、その身寄りのないおなご衆も、きっとあの世で、あなたさまのお心やりに手を合わせておりましょうよ。では、こっちの弥吉どんだが、おまえさんこっそり次郎松にお会いなすって、あの金襴(きんらん)織りの守り袋を見せてもらったんじゃござんせんかい」
「…………」
「いいえ、なにもそんなにこわがらなくともいいですよ。江戸っ子ならば、すっぱりとおっしゃいな」
「申します、申します。おめがねどおりでござります。ちょうどおとついでござりました。追い出されてみましても、やっぱり恋しいおかたはおかた――そのごどうしたじゃろうと存じまして、夜ふけにそっと様子見に参りましたら、次郎松がお嬢さまのお家出をなさった話の末に、あのにしきの守り袋を見せまして、ついきょう、青梅から差し出し人のわからぬ急飛脚で、このような袋と手紙とを届けてくださりましたが、どうやらお妙さまのお贈り物のようじゃから、念のため捜しに行ってみたらどうかというてくれましたゆえ、すぐやって参りまして、ようようこの尼寺でお見かけしたのでござります」
「じゃ、むろんおまえさんたちふたりは、あの三千両を持ち出してきてくれた相手が次郎松ってことを、知っていなすったんだね」
「はっ。この弥吉が追い出されるとき、次郎松がお嬢さまとてまえとに、こっそり告げてくれましたゆえ、ふたりとも身にしみて親切に泣きましてござります」
「そうわかりゃ、もう不審はねえはずだ。さ! 星空でもながめながめ、みんなして大手をふりながら、ゆっくり駕籠(かご)で江戸へけえりましょうよ。五丁そろえて乗りこみゃ景気がいいぜ」
はればれとしたようにいいすてると、名人は先にたって思い出多い情けが丘を向こうへ降りていきました。
しかし、それだのに、なおあいきょう者が、まごまご首をひねっていましたものでしたから、名人がかわいい配下の血のめぐりを補ってやろうというようにきき尋ねました。
「よく首をひねるやつだな。なにがふにおちねえのかい」
「だって、だんながどうしてふたりともここに来ているとおにらみなさったか、それが薄気味わるいですよ。江戸の日本橋にいらっしゃって、十里ももっと上の青梅の空に、こんなすてきもねえ青葉の名所があるっていうことなんぞ、いかなだんなだって、そうそうわかりっこはねえと思うんだからね」
「しようのねえやつだな。男の尼になりてえだの、ふぐじるがどうだのと、とんきょうなことをいっているから、いちいちおめえなんぞはそのとおり首をひねらなきゃならねえんだ。おれの青梅と眼がついたな、あの金襴(きんらん)織りの守り袋からだよ。ありゃ青梅(おうめ)金襴といってな、ここの宿でなきゃできねえ高値(こうじき)なしろものさ。それへもっていって、お寺さんのお線香がしみついているうえ、あの手紙が紛れない女文字だったから、お妙さまの尼美人ぶりにお目にかかれるだろうと眼がついたんだよ。どうだい、伝六あにい! 呉服屋をのぞくにしても、さらしもめんや、欝金(うこん)もめんみてえな安い品をのぞくなよ、どこで知恵の小づちを拾うかわからねえんだからな」
「へえい……」
「いやに景気のわるい返事をするな。まだそれじゃ気に入らねえのかい」
と――、伝六がにやにやとやっていましたが、すばらしく気のきいた名句を吐きました。
「大きにまだ気に入らねえんですよ。だんなはこれで幾組み、他人の恋路の仲立ちをなさったかしらねえが、ひとのお取り持ちばかりをしねえで、ちっとはお自分の恋路のほうも才覚おしなせえよ。ひとごとながら、ほんとに気がもめるじゃござんせんか」
そのとおり、そのとおりというように、うしろから尼僧院のいと静かなる聖鐘が、物柔らかく一行の影の上に流れ渡りました。